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指導者/导师(鲁迅《华盖集》)
发布者   慈溪新世界教育

 

【中日对照】雑話/碎话(鲁迅《华盖集》)雑話  

   もし自分だけのことであるなら、それはかまわない、今日の自分が昨日の自分と戦うのもいいし、今日はこう言い、明日はああ言うのもよい。だが一番いいのは自分の頭の中でそのようなことを考え、自分の家の中でそのようなことを言うことだ、あるいは愛人と語り合ってもかまわない、ともかく彼女はいつでも「まぁ!」といって感服を表すだけで、第三者ハ聞いていないのだから。だが、もしそれを手軽に、どんどん発表して、そして「領袖」とか「正人君子」のつもりになって、そんなものを「思想」とか「公論」という類(たぐい)のものだと称するのであれば、若干の真面目な人たちが災難をこうむることになる。もちろん、凡そ素晴らしい変遷というものは、もともと学者文人たちの進歩の大いに速やかなることを表すに足りるものではある、まして文壇は元来が「上役人(かみやくにん)なら放火(つけび)も許されるが庶民は灯火(あかり)も許されない」ところで、不幸にして凡庸人であるからには、天才のために犠牲になるのは当然の義務である。誰もお前に研究したり創作したりさせないものがあろうか、ただ苦しむのは当たり前だというだけだ!
  けれども、これは天才、あるいは天才の奴隷の名論卓説である。凡庸人の側からみると、このような議論はどうも理屈には合っていても人情に反しているように思える、「虫けらでも生きねばならない」というのは昔からの明らかな訓えである。だから凡庸人であっても、やはりこの世に少しでも生き、少しでも楽をしたいと考える。ところが、つまらぬことに興味を持つのが彼らの苦しむ元で、家の中にじっとして座っておればいいものを、どうしても外へ出て指導者をさがし、公論を聞こうとするのである。学者文人たちは一日に千度も変わるぐらいに進歩するが、大衆はその後を追っかける、彼がちょっと回り道をしても、こちらは大きく回らねばならぬし、彼は円心をぐるぐる回っているのに、こちらは円周を回らねばならぬというわけで、背中じゅう汗だくになっても、結局何のことやら分からぬということになるのは、もちろん八卦占いをしないでも分かりきっている。
  何事も実行が大事だ、実行、実行! これはもちろん名言である、しかしもし阿呆がいて本当にピストルを買いにいったとしたら、きっと前に言ったことを深く後悔せねばならず、さらに進んでは国を救うにはまず学問にはげむことが先だと悟ることになる。これももちろん名言であることは、言うまでもない、そしてこの論(おし)えにしたがって研究室にもぐり込む。やがてある日、君が一つの新しい彗星を発見するか、あるいは劉欽(りゅうきん(元の字は音偏))は劉向(りゅうきょう)の息子でないことを知ってから、飛び出してきて国を救おうとするときには、先覚者は「杳(よう)として黄鶴の如く」で、さっぱり行方が知れない、あちこち捜しまわった揚句(あげく)に、あるいは芝居小屋の中で発見されるかもしれない。君はもうあの「若主人さまエンエン! ナー、アイアイアイ!」(芝居の歌の文句)を軽蔑してはならない、これは芸術だ。聞くところでは「人類はただ理知の動物であるだけでなく」、必ず「種々の方面において十分発達している人であってこそ、完全な人間ということができる」とか、学者が芝居小屋にいるのは、「感情の方面から種々の美を求める」ためである。「髪を束(たば)ねた若僧」が先生になって、研究室から飛び出しても、国を救う資格はまずあるとされようが、さて図らずも精神的には種々の方面に十分発達していない畸形物であったとは、何とも憐れなものである。
  では、さっそく夜の芝居を見て、種々の美を求め探して、どうなるのか? 誰がそれを知ろう。あるいはもう学者は芝居小屋を出ていて、学説も同時に長足の進歩(俗に変化というのは間違いだ)をしているのかも知れないのである。
  ショーペンハウエル先生は厭世家として一時、名高かったが、近頃中国の紳士たちは彼の『婦人論』だけを賞(め)でる。たしかに、彼の女性罵倒は紳士たちのお口に合うとは思うが、しかしわれわれにあまり都合のよくない他の議論も彼にはある。たとえば『読書と書籍』という一編には、こう言っている、「われわれが本を読んでいる時は、他人がわれわれのために考えてくれているのだ。われわれはその人の心的過程を反覆しているに過ぎない。‥‥‥そして本質的に言うならば、読書している時は、われわれの脳というものはすでに自分の活動場所ではない。それは他人の思想の戦場であるのだ」。そしてわれわれの学者文人たちはこのような戦場――まだ練れていない青年の脳髄をちょうど求めている。ところがその戦場で別の強敵と戦闘をするのではなくて、今日の自分が明日の自分を打ち、「道義」の手が「公理」の類(たぐい)を打つ――少し俗な言い方をすれば、自分で自分の面(つら)を張り飛ばすのである。このような戦場になった者としては、何のことやらまるでわけが分からない。
  この一ヵ月来、どうしたわけか知らないが幾人かの学者文人あるいは批評家は腑抜けになってしまった、まるで彼らは先月の末にやっと母親の胎内から出てきたばかりで、民国十四年十二月以前のことは何も知らないかのようだ。女師大の学生が占拠されていた彼女たちの母校**ⅳ毪龋ń逃t長章士釗と校長楊蔭楡は警官と無頼の徒百余人を送って女師大を占拠、解散した、学生たちはそれに抗して、別のところに校舎を借りて授業を続けたが、三ヶ月後に女師大は復校し、彼女たちは母校**ⅳ盲浚ⅳⅳ胝撙悉饯韦长趣蚶艘い皮啤垼à沥悚螅─斡H分、あるいは李(りー)の親分が「兵隊を指揮して、一、二百の学生を送り込み、二、三千の学生の北京大学を占拠」するだろうといった。もしもそんなことがあれば、北京大学の学生は一せいに立ち上がって女師大を撲滅し、張(ちゃん)の親分や李(りー)の親分の例を引かれないようにし、母校の安全を確保すべきである。だが私の知っているところでは、北京大学は先ごろ二十七周年記念を行ったばかりで、その設立の歴史は、決して章士釗(ちゃんしーちゃお)によって張の親分や李の親分の指揮するだろうという二百の学生が駆り出されて、それで建て直しを行い、三千の学生を募集して、人の耳目をごまかしたというようなものではない。このような比較引例は、まるで青年の頭を混乱させるものである。夏ごろであれば、「風潮を挑剔(ちょうてき)」するというべきところだ。しかし批評界にも、あるいは文壇に天才がいるのと同じように、「上役人なら放火(つけび)も許されるが庶民は灯火(あかり)も許されない」ということがあるのかも知れない。
  学者文人たちの最も都合のよいことは、このような一つの特権で、月々、刻々に、自分が自分と戦うこと――つまり自分で自分の面を張り飛ばせることである。幸いにして凡庸人は知らないから、普通の人のことを思って、「閑話(むだばなし)」さえ訳の分からぬことしか言えないなどと誤解してくれることもない。
    (十二月二十二日) 碎 话  如果只有自己,那是都可以的:今日之我与昨日之我战也好,今日这么说明日那么说也好。但最好是在自己的脑里想,在自己的宅子里说;或者和情人谈谈也不妨,横竖她总能以“阿呀”表示其佩服,而没有第三者与闻其事。只是,假使不自珍惜,陆续发表出来,以“领袖”“正人君子”自居,而称这些为“思想”或“公论”之类,却难免有多少老实人遭殃。自然,凡有神妙的变迁,原是反足以见学者文人们进步之神速的;况且文坛上本来就“只许州官放火不准百姓点灯”,既不幸而为庸人,则给天才做一点牺牲,也正是应尽的义务。谁叫你不能研究或创作的呢?亦惟有活该吃苦而已矣!  然而,这是天才,或者是天才的奴才的崇论宏议。从庸人一方面看起来,却不免觉得此说虽合乎理而反乎情;因为“蝼蚁尚且贪生”,也还是古之明训。所以虽然是庸人,总还想活几天,乐一点。无奈爱管闲事是他们吃苦的根苗,坐在家里好好的,却偏要出来寻导师,听公论了。学者文人们正在一日千变地进步,大家跟在他后面;他走的是小弯,你走的是大弯,他在圆心里转,你却必得在圆周上转,汗流浃背而终于不知所以,那自然是不待数计龟卜而后知的。  什么事情都要干,干,干!那当然是名言,但是倘有傻子真去买了手枪,就必要深悔前非,更进而悟到救国必先求学。①这当然也是名言,何用多说呢,就遵谕钻进研究室去。待到有一天,你发见了一颗新彗星②,或者知道了刘歆并非刘向的儿子③之后,跳出来救国时,先觉者可是“杳如黄鹤”了,寻来寻去,也许会在戏园子里发见。你不要再菲薄那“小东人嗯嗯!哪,唉唉唉!”④ 罢:这是艺术。听说“人类不仅是理智的动物”,必须“种种方面有充分发达的人,才可以算完人”呀,学者之在戏园,乃是“在感情方面求种种的美”。⑤ “束发小生”变成先生,从研究室里钻出,救国的资格也许有一点了,却不料还是一个精神上种种方面没有充分发达的畸形物,真是可怜可怜。  那么,立刻看夜戏,去求种种的美去,怎么样?谁知道呢。也许学者已经出戏园,学说也跟着长进(俗称改变,非也)了。  叔本华先生以厌世名一时,近来中国的绅士们却独独赏识了他的《妇人论》⑥。的确,他的骂女人虽然还合绅士们的脾胃,但别的话却实在很有些和我们不相宜的。即如《读书和书籍》那一篇里,就说,“我们读着的时候,别人却替我们想。我们不过反复了这人的心的过程。……然而本来底地说起来,则读书时,我们的脑已非自己的活动地。这是别人的思想的战场了。”但是我们的学者文人们却正需要这样的战场——未经老练的青年的脑髓。但也并非在这上面和别的强敌战斗,乃是今日之我打昨日之我,“道义”之手批“公理”之颊——说得俗一点:自己打嘴巴。作了这样的战场者,怎么还能明白是怎么一回事。  这一月来,不知怎的又有几个学者文人或批评家亡魂失魄了,仿佛他们在上月底才从娘胎钻出,毫不知道民国十四年十二月以前的事似的。女师大学生一归她们被占的本校,就有人引以为例,说张胡子或李胡子可以“派兵送一二百学生占据了二三千学生的北大”⑦。如果这样,北大学生确应该群起而将女师大扑灭,以免张胡或李胡援例,确保母校的安全。但我记得北大刚举行过二十七周年纪念,那建立的历史,是并非由章士钊将张胡或李胡将要率领的二百学生拖出,然后改立北大,招生三千,以掩人耳目的。这样的比附,简直是在青年的脑上打滚。夏间,则也可以称为“挑剔风潮”。但也许批评界有时也是“只许州官放火不准百姓点灯”,正如天才之在文坛一样的。  学者文人们最好是有这样的一个特权,月月,时时,自己和自己战,——即自己打嘴巴。免得庸人不知,以常人为例,误以为连一点“闲话”也讲不清楚。  十二月二十二日。  (原刊1926年1月8日《猛进》周刊第44期,后收入《华盖集》)  ① 这一段里提到的“干,干,干!”和“救国必先求学”的“名言”,是胡适在不同时期写下的文字。前者是他在《四烈士冢上的没字碑歌》一诗中歌颂暴力行动的用语(见1921年6月《新青年》第9卷第2号),后者是《爱国运动与求学》一文中规劝学生回到课堂的话(见1925年9月5日《现代评论》第2卷第39期)。  ② 发见了一颗新彗星 胡适在《论国故学》一文中说:“发明一个字的古义,与发行一颗恒星,都是一大功绩。”(见《胡适文存》二集卷二)  ③ 或者知道了刘歆并非刘向的儿子 这是讽刺那些挖空心思在常识问题上发微抉隐的考据家。刘向(约前77—前6)、刘歆(?—23)父子均为西汉经学家、目录学家。  ④ “小东人嗯嗯!哪,唉唉唉!” 这是京剧《三娘教子》中家仆薛保的一句唱词。“小东人”即剧中的小主人薛倚。  ⑤ 这是陈西滢《闲话》中的说法,见1925年5月30日出版的《现代评论》第1卷第25期。  ⑥ 《妇人论》 叔本华关于女性问题的论文。1925年10月14日、15日《晨报副刊》发表张慰慈的译文(题名《妇女论》),同时还配有徐志摩的评介文章《叔本华与叔本华的〈妇女论〉》。

  ⑦ “派兵送一二百学生占据了二三千学生的北大” 指陈西滢对女师大学生返校一事的指责。1925年8月,女师大被强令停办后,章士钊在该校原址另办女子大学。同年11月末章士钊逃往天津,女师大学生返回原校上课,引起纠纷。陈西滢在《闲话》中将此事喻为军阀派兵送一二百外校学生去占据北大(见1925年12月19日《现代评论》第3卷第54期)。



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